なんてこたぁない
本丸の日常
しょーと すとーりー
これくしょん

刀剣乱舞 fan fiction

友人の同人誌「なんてこたぁない本丸の日常」の設定で書かせていただいた、
三次創作?の掌編集です。

同人誌ゲスト寄稿 WEB再録
SS強化週間執筆作
(ネタ出しから完成まで一日以内縛り)

彼と彼女のスキンシップ(小狐丸/燭台切光忠/大倶利伽羅)

「ぬしさま、ぬしさま。この小狐の毛並みを整えてくださいませ」  中途半端に開いていた障子の影から、小狐丸がぴょこんと顔を出した。この本丸ではもはやお約束となった毛づくろいタイムだ。 「いいよ。ほら、おいで」  審神者が手招きすると、彼は耳の様子で幸せを表現して、審神者の近くの座布団に収まった。  室内は空調が効いているとはいえ、時節柄、空気は乾燥していて手先が冷える。小狐丸の髪の中に手櫛を通した審神者は、素晴らしい手触りに溜息を漏らした。 「ああ、ほんと、ふわっふわ……。気持ちいいわ……」 「ふふ。ぬしさまはこの毛並みが良いとおっしゃる」  小狐丸は柔らかな毛先を得意げに揺らした。後ろを向いていても幸せオーラ全開で、満面の笑顔が容易に想像できる。 「小狐丸、何だか嬉しそうね」  審神者が話しかけると、 「もちろんでございます。他ならぬぬしさまが、手ずからこの身の手入れをしてくださるのですから。それに、」  小狐丸は重ねて言った。 「この時間は、小狐がぬしさまを独り占めできる、大変貴重な時間にございます」  しろがね色の耳……のように見えるものが、嬉しそうにぴょこぴょこ動いている。審神者はその耳をふにふに触って、仕上げにもう一度髪全体にブラシをかけると、いっそう美しくなった毛並みを愛でるように小狐丸の頭を撫でた。 *  昼過ぎ、髪留めが切れてしまったので髪を結い直していると、審神者の室に今度は燭台切がやってきた。 「主。刀装づくり終わったよ」 「ありがとー」  化粧台に向かっていた審神者は、髪をまとめながら顔だけ燭台切の方に向けて応えた。その様子と、鏡台に置かれた髪留めを交互に見て、燭台切は目を丸くした。 「あれ、髪留め切れちゃったの?」 「うん。もう長いこと使ってたからね。替えがあるから大丈夫だよ」  そっか、と言いながら燭台切は鏡台に近付き、「良かったら結ってあげるよ。後ろまでは自分じゃよく見えないでしょ」と櫛と髪留めを手に取った。審神者はやったーと素直に頷き、結い髪を燭台切に任せることにした。  自分よりも骨ばった指が、慣れた手つきで優しく髪を梳いていく。審神者は心地良いその感覚に身を任せながら、小狐丸の毛づくろいタイムのことを思い出した。今にも誉桜が舞い散りそうな、主人に構ってもらえて嬉しいと言わんばかりの後ろ姿を。 「……なんて言うんだっけ、こういうの。スキンシップ?」  脈絡ない呟きに、燭台切は「うん?」と首を傾げ、 「ああ、そういえば三日月さんも言ってたよね。すきんしっぷというやつだ、って」  それから、鏡の中の審神者に向かってにっこり笑いかけた。 「でもさ、こういうの確かにいいよね。距離が縮まったような気がしてさ。人の体を得てよかったと思うことのひとつかな」 * 「触れ合い、ねえ……」  うちの本丸では、結構普段からつっついたりふざけあったり、スキンシップはよくしてるほうだよねぇ、多分……。そんなことを考えながら廊下を歩いていると、何気なく通り過ぎようとした一室の襖がわずかに開いており、中で大倶利伽羅が昼寝をしているのが目に入った。もっとも、今日はもうとっくに日が沈んでいるので、正しくは夕寝だ。  審神者はそっと室に入り、もうすぐ夕餉だからと彼を起こすために近付いた。だがその前に、平時は滅多に見せることのない彼の寝顔の綺麗さに気付いて一瞬動きを止める。端正な目鼻立ち、まぶたにかかる緩い巻き毛。よく見ると睫毛まで整っていて……。 (そういえば、大倶利伽羅に最近ちょっかいかけてないなぁ。来たばっかりの頃から考えれば、だいぶ慣れ合うようになったけどね……)  両頬杖をついて間近で彼の顔を眺めていると、不意に大倶利伽羅が目を覚ました。審神者が目の前にいたことに驚いたのかどうかは、表情や仕草からはいまいち読み取れない。審神者は「おはよう」と片手を挙げ、「もうすぐ晩御飯だって歌仙が言ってたよ」と続けた。 「……そうか」  寝起きのぼんやりした声が返ってくる。 「そうだ、外見た? また雪が降ってきたよ」  審神者が少し横を向いて背後の襖を指差すと、大倶利伽羅はおや、と何かに気付いたように審神者の髪の辺りに視線を固定した。審神者はそれに気付いて、 「あ、これ? お昼頃に光忠が結ってくれたの」  いつもと同じ一つ結びだが、サイドにねじりが入って華やかになっている。大倶利伽羅は、光忠に結ってもらったというフレーズに一瞬反応したように見えたが、あとはいつも通りの声で「ふうん……」と呟いただけだった。 「そうだわ、忘れるところだった。倶利伽羅、そろそろ食堂に行……」  審神者がそう言って立ち上がりかけた時。突然全ての明かりが落ち、館全体が暗闇に包まれた。 「うそ、停電!? そういえば、この辺りに懐中電灯が……」 「おい、無闇に動くな」  大倶利伽羅の声が聞こえるが、暗闇のせいで審神者の腕を捉え損ねたらしい。審神者はしばらく手探りで懐中電灯を探していたが、結局それらしい手応えはなく、闇に目が慣れるまでの辛抱だと諦めて元の場所に戻ろうとした。と、近くにあった文机に足を引っかけて転びかける。審神者は咄嗟に掴むものを求め、ちょうど目の前にあった何かに抱きついた。  そうして五秒か六秒、いや、それ以上の時間が経った頃、また唐突に室が明るくなった。どうやら一時的な停電だったらしい。審神者と大倶利伽羅は改めて状況を確認し、そして二人同時に固まった。審神者の両腕は大倶利伽羅の腕にしっかりと巻き付き、結果として二人の体同士はこれ以上ないほど密着していた。驚いて思わず見つめ合うが、先に顔を反らしたのは大倶利伽羅の方だった。 (あれ……? これって……)  今まで見せたことのないタイプの反応に、審神者は何だか楽しくなって、そっぽを向く大倶利伽羅の顔をくるくると追いかけた。 「なあに、照れてる? 照れてるの?」 「違う」  否定の声は低くて小さい。大倶利伽羅はすたすたと歩き出すと、襖を開けたところで肩越しに振り返り、審神者に向かって片手を出した。 「ほら。食堂に行くんだろう」  ようやくまともに顔を見せた彼は、もういつもの涼しい表情に戻っていた。
お題は「刀×主」「スキンシップ」。
2017年1月、友人の同人誌にゲスト寄稿しました。
※ご本人からWeb公開許可済

なんでもない夏の夜(歌仙兼定)

 夏の長い日が暮れて、ようやく少しは過ごしやすさを感じられる時間帯になってきた。私は審神者様と並んで――と言ってもサイズが違うので、彼女の足元あたりに居て、ぽてぽてついていくことになるのだが――鶯張りの回廊を歩き、やがて中庭を臨む一角に差し掛かった。審神者様はそこで、海松茶色の袴を着けた人物が縁側に腰掛けているのを見つけ、彼に声を掛けられた。 「何してるの、歌仙」 「ああ、主。少し夜風に当たろうかと思ってね。一緒にどうだい」  審神者様は、うん、と応えられて歌仙兼定様の隣に腰を下ろした。私がその横に座ると、審神者様は片手で私の顎から首の辺りの毛並みを撫でてくださる。歌仙様の仰る通り、縁側にいると夜風が気持ち良かった。 「昔の書物の言葉ではないが、やはり夏は夜が良い」  晩夏の風情にあふれる中庭の様子を眺められながら、歌仙様がつぶやいた。今夜は月の出が遅いらしく、夜空に月は見当たらないが、その代わりにいくつもの星がきらきら瞬いていた。今日は昼から雲ひとつ無い晴天だったので、雲が邪魔していないこともあり、一層鮮明に見えるのだろう。 「ほんと、夜になると少しは暑さが和らぐね。夏ももうすぐ終わりかー」 「この夏の思い出は出来たかい」 「皆で縁日に行ったのと……あ、スイカもこの間切って食べたよね」 「ああ、あれは瑞々しくて大変美味だったね」 「他にも何か夏らしいことしたいね。あと少しなんだし」  お二人が話されていると、向こうの廊下からどなたかが歩いて来て、審神者様に声を掛けられた。 「あ、ここにいた。ねーねー、主」 「加州。どうしたの」 「この本丸、金魚鉢とか無かったっけ。どっかで見たような気はしてるんだけど」 「金魚鉢?」  審神者様が首を傾げるのにつられて、私も小首を傾げた。加州清光様は、うん、と頷かれて続けて言った。 「短刀たちが、縁日ですくってきた金魚を金魚鉢に移したいんだって。でも、どこにあるか誰も分かんなかったから、皆に聞いて回っててさ」 「そっか。うーん、私もどこかで見た気がするわ。くりやの戸棚だったかな……」 「ああ、そうだ。確か最初の日に、本丸の設備を一通り確認した時に見たね」  歌仙様が指を顎に添え、何かを思い出したように仰った。それを聞いて、審神者様もぽんと手を打たれた。 「そうそう。入口に近い方の棚よね」 「その棚の下の段の、左から二列目かな。予備の研石と同じ開き棚にあると思うよ」  審神者様と歌仙様のやりとりを見守られていた加州清光様は、目をぱちくりさせて、一拍置いてからはっとして仰った。 「わかった、ありがと。その棚見てみるね」 「何だい、今の妙な間は」  歌仙様が尋ねられると、加州様は、ああ、いや、と仰って楽しそうに笑った。 「主もだけど、歌仙もさすがだなと思って。この本丸のこと詳しすぎでしょ」 「一応、第一日目からここに居る一番刀だからねぇ」  いつも通りの落ち着いたご様子ながら、歌仙様はどことなく誇らしげだ。そう、本丸最初の日、この屋敷に足を踏み入れたところからの記憶を持っている者は、たぶん審神者様と、初期刀である歌仙様と、ナビゲート役の私しかいないだろう。  加州様はひらひらと手を振って、厨の方に去って行かれた。それをお二人と一匹で見送っていると、今度は三名槍が揃って廊下を通り掛かられた。 「お、主ー。錬結用の刀、あっちの倉庫でいいんだよな」 「うん。三人ともお疲れー、ありがとう!」  どうやら、余った刀を仕舞われてきた帰り道のようだ。御手杵様は審神者様とハイタッチなるものを交わされ、蜻蛉切様はあまり夜更かしされませんようにと、日本号様は今度一緒に呑もうと審神者様にそれぞれ話しかけられて、お三方は行ってしまわれた。その後も、着替えを持って浴場に行かれるらしい鯰尾藤四郎様と骨喰藤四郎様、次の出陣の作戦を話し合われているへし切長谷部様、宗三左文字様、薬研藤四郎様、ぽらろいどかめらを不思議そうに見分けんぶんされている髭切様と膝丸様など、様々な刀がこの廊下を通り、そのたびに審神者様と歌仙様に一言二言かけて行かれるのだった。やがてそれも途切れた頃、歌仙様が目元を緩ませて仰った。 「この本丸も、随分賑やかになったものだね」 「そうね、一番初めは歌仙と二人だけだったよね。何だか遠い昔のことみたい」  審神者様も昔を懐かしむように答えられた。私もずっと案内役をしてきた身として、感慨にふけるお二人のお気持ちが少しは分かる気がした。私はいつも審神者様のお側に付いて、彼女が色々な刀と一緒にいらっしゃるところを見てきているが、初期刀の歌仙様と居る時だけは、他にはない穏やかな空気がお二人の間に流れるのを感じていた。  しばらく、近くの部屋でどなたかが談笑されているかすかな声と、軒先で控えめに揺れる風鈴の音、秋が近いことを知らせる澄んだ虫の声だけが聞こえていた。そうしているうちに、歌仙様がふと何か思いつかれたご様子で、脇に置いてあった短冊と筆をおもむろに手に取り、何事かをさらさらと書きつけた。 「ふむ……。本来は秋の歌だが、暦の上ではもう秋だから構わないだろう」 「何なに?」  審神者様が、短冊に墨で書かれた流麗な文字を覗き込まれた。私も頭を上げて、短冊を持たれている歌仙様の手の方に近付いた。 「昔の和歌の引用さ。今の気持ちにぴったり合っていたので、書き留めておきたくなってね」  歌仙様はそう仰って、和歌の内容を読み上げた。それを聞き終えた審神者様は、何ていう意味、と重ねて問われたが、歌仙様がそれに答えようとした時、遠くで火薬が弾ける音がした。私は驚いて尻尾と耳をぴんと立て、お二人もその音のした方を振り向かれた。すると、山々の向こうで強い光がまっすぐ夜空に上がっていくのが見えた。花火が打ち上げられたのだ。 「びっくりした。どこかで打ち上げ花火をやってるのね。あっ、そうだ、夏らしいこと! うちも中庭で手持ち花火やろうよ」 「ああ。特に、あの線香花火というものはなかなか風流だね」  お二人が色とりどりの打ち上げ花火を観ながら話していると、近くの部屋にいたらしい刀たちが花火の音を聞きつけて、何だ何だと縁側に出てきた。私はまたすっかり賑やかになった縁側の様子を眺め、それから歌仙様がそっと脇に置かれた短冊に目を落とした。歌仙様は結局、先ほどの質問に答えるタイミングを逃してしまわれたようだ。私は肉球で短冊をちょっと押さえ、そこに書いてある文字を読んだ。 わくらばに 天の川波 よるながら 明くる空には 任せずもがな (久しぶりにお会いできたのだから、天の川の波が寄せるこの夜が、このままずっと明けないでほしい)  つまり、歌仙様は「この幸せな時間が、ずっと続きますように」という気持ちを、この歌人の思いと重ねられたのだろう。私は審神者様とお話をされている歌仙様の横顔をちらりと見上げた。歌仙様は相変わらず、審神者様に柔和な眼差しを向けられていた。私は、秘すれば花なりという言葉を思い出し、短冊を元通りの位置に戻して、皆様と一緒に花火を観るために前脚をたたんで座り込んだ。
お題は「初期刀(この本丸の初期刀の歌仙兼定)×審神者」。
2017年8月、友人の同人誌にゲスト寄稿しました。※ご本人からWeb公開許可済 夏に頒布されるご本だったので、夏の話にしてみました。

恋人たちとさくら色(一期一振)

「ねえねえ、主さん。最近いち兄とどうなの?」  花の形をしたクッキーをつまみながら、乱藤四郎が興味津々で私の方に身を乗り出してきた。内番を終えた刀剣たちとのおやつ休憩の最中である。私は紅茶をひと口飲み下して、しばし考え込んだ。一期一振と恋人同士になってから、確かに二人でいる時間は長くなったかもしれないが、さて、改めてどんな様子かと聞かれると返答に窮する。 「んー、わりといつも通り、かなぁ? 特に変わったことって無いかも」  もともと仲良かったもんね、と、もう一人の内番の信濃藤四郎が相槌を打った。 「ヤキモチとかは?」  乱に訊かれて、私はお菓子に伸ばしかけた手を止め、今までのことを思い返してみた。 「どうかなー。鍛刀の時、あんまり乗り気じゃないような顔をされることはあるけど……」  文句はありませんが……とつぶやく彼の寂しそうな表情が脳裏に浮かぶ。だがそれを除けば、ヤキモチらしき感情を表に出している姿は見たことがないかもしれない。――例えば、恋人にもそうなのかな。私はぼんやりと考えながら、マグカップに唇を当てた。  翌日は、久しぶりの審神者会議だった。時の政府のお偉い方々から延々ご高説を賜るだけの、退屈な……もとい、ありがたーい時間である。会議後の懇親会もようやく終了し、私と随伴の一期一振は本丸への帰路についた。 「つかれたー。会議ってなんであんなに長いのかしら」  両手を上げて伸びをしながら、何気なく一期の横顔を見てみると、驚くべきことに、彼は初めて見る表情をしていた。私は一期の顔を正面から見られる位置に移動した。 「どうしたの? 眉間、眉間」  そう指摘すると、彼ははっとして、たちまち表情を元通りに戻した。 「一期も疲れた?」 「いえ……」  一期はそう言ったものの、何かを口に出そうか迷っている様子だった。そして、そのまま何歩か進んだ後に、意を決したように私に尋ねた。 「主。その、先ほどの懇親会で談笑されていた方は……」  私は最初、何のことを言われたのか分からなかった。懇親会と言えば、今さっき経験したばかりの出来事なのに。もうそこからして、いかに私の中で印象の薄い事柄だったかお察しいただけると思う。 「ああ、あの人。よく演練が一緒になる審神者さんだよ。立場上、挨拶くらいしておかないといけないでしょ」  懇親会でたまたま会った男性審神者のことだ。あの人ちょっと苦手だから、だいぶ社交辞令感を醸し出して対応したつもりだったけれど、一期には親しげに談笑しているように見えたらしい。 「そうでしたか」  一期はみるみる安堵の表情になって、ひとつ息をついた。 「いけませんな。こんなにすぐ顔に出るようでは、弟たちに示しが……」  眉間を揉みほぐしている彼を横目に見ていると、昨日の話が思い出される。私は少しだけ嬉しくなって、内緒話をするように口の横に手を当てて尋ねた。 「それって……もしかして、ヤキモチ?」  一期は分かりやすく動作を止め、コホンと咳払いをすると、眉を下げて私をたしなめた。 「あまりからかわんでください、主」  本丸に到着してひと息ついたら、楽しみにしていたおやつの時間だ。私がお菓子の準備をしていると、ちょうどポットを持った堀川国広が室の前を通り掛かった。 「主さん、一期さん。お茶どうですか?」  私と一期がありがとうとコップを差し出すと、堀川は飲み物を注ぎながら、盆に載せられた菓子に目を留めた。 「その焼菓子、可愛いですよね」  昨日のおやつ休憩時の菓子盆にも載っていた、桜の花の形のクッキーである。堀川くんもこれ食べた? と尋ねると、昨日頂きましたよ、との返事が返ってきた。  やがて、仕事を終えた堀川くんが室を辞すると、一期はクッキーを目で示して、ぽつりと呟いた。 「……私のために?」 「うん。一期は昨日、遠征でいなかったから」  それに、以前同じクッキーを皆で食べた時に、一期も気に入っていた様子だったので、今日は二人で一緒に食べようと思って取っておいたのだ。そう説明すると、一期は先ほどの険しい表情は幻だったんじゃないかと思うほどの、文字通り花がほころぶような笑顔を見せた。  そうして、執務室の中で二人だけのささやかなお茶会が始まった。桜を模したクッキーは、甘いバニラと苺の味がした。  それから数十分、だいぶ日も傾いてきた頃だ。障子がカタカタ音を立て始め、風が強くなってきたことを知らせた。今日は晴れたから洗濯物をたくさん干したはずだけど、風で飛んで行ってはいないだろうか。一期が様子を見るために障子を開けると、ちょうど廊下の向こう側から五虎退の声が聞こえた。 「虎くん、だめだよ、その敷布……!」  状況を確認する暇もなかった。え、と思った次の瞬間には、私は視界いっぱいに広がる白いシーツを認識し、そしてひときわ強く吹き込んでくる風の音を聞いた。そこからは何が起きたか分からなかった。とっさに目をつむり、体が後ろに倒されそうになって手をついたことは覚えている。おそるおそる目を開けると、多分今の私と同じような顔をして、至近距離で私を見つめている一期と目が合った。視界はわずかに薄暗い。洗いたての白いシーツが、見事に私たち二人に覆い被さっていたからである。虎くんがシーツで遊んでいたところにちょうど風が吹いて、この室に飛んできてしまったのだろう。私はシーツの中で、今の自分と一期の体勢を確認してみた。私が畳についた手のすぐそばに一期の手があり、彼の腿あたりには私が穿いている袴がしっかり触れている。これは……俗に言う『押し倒される』状態の一歩手前ではないか、と自覚した途端、心臓の音が一段階大きくなった。 「主様、いち兄、ご、ごめんなさい……っ」  シーツ越しに、可哀想なくらいおろおろとした五虎退の声が聞こえる。一期はしょうがないなという風に苦笑した。 「私たちは大丈夫だから、とりあえず他の方にご迷惑をおかけする前に、虎をつかまえて来なさい」 「わ、わかりました……!」  五虎退は開いたままになっていた障子をきちんと閉め、それから軽い足音をさせて虎を追いかけに行った。ようやく落ち着くと、私たち二人はもそもそと動いてシーツの中から脱出した。 「びっくりした~……」 「すみません、弟が……」  一期は申し訳なさそうにしながら、シーツを畳み直していた。 「ううん、全然大丈夫」  彼は、先ほどまでお互いの体が至近距離にあったことをそれほど気にしていないようだ。ほっとした反面、自分だけが勝手に意識しているようで複雑だった。 「主、お怪我は?」 「何ともないよ」  そう答えた後、何気なく右手の側面を見ると、少し赤くなっていた。驚いて倒れかけた時に、卓の縁かどこかで擦ったようだ。一期もそれに気付き、近くに来て私の手を取った。 「痛くないから平気」  心配そうな顔の一期を安心させるための言葉でもあったが、事実、見た目ほど痛くはなかった。一期は、そうですか、と安堵の息をついた後、ふいに目を伏せて、繋いだままの互いの手をじっと見つめたかと思うと、私の手の赤くなった部分に、そっと自分の唇を寄せた。美しい形の唇が自分の手から緩やかに離れていくのを、私は瞬きすることも忘れて眺めていた。――耳が熱い。心臓が速く打っていることを知られたくないと思った。一期は私のその様子を見て薄く笑みを刷いた。先ほど五虎退に話しかけた時とは明らかに違う表情だ。反応を楽しまれている、と私が感づくのと同時に、今度は一期の顔が私の唇に近付いてきた。気のせいではない。手の次は唇に、と彼は考えているのだと分かった。 「一期……」  かすれ気味の声しか出ない。ここから後じさりしたいような、したくないような、不思議な気分だった。一期はくくと笑って、とろけそうな色の瞳で優しく私を捉えた。 「可愛らしい方だ。私たちは恋人同士、いまさら何を躊躇うことがありましょう……」  すずやかな声が耳元で聞こえる。私は彼が近付いてくるのに合わせて、ゆっくりと目を閉じた。その後には、さくらを象った甘い焼菓子の……苺とバニラの香りが―― *  ふつりと糸が切れるように、私はわりあい静かに目を覚ました。辺りにはただ平穏な静寂だけがあった。室内をぐるりと見回してみる。全くいつもと変わらない執務室の風景だった。そのうちに、私はこれがどういった状況なのかを徐々に理解した。 「ゆ、夢……」  室の外に目をやると、季節に似合わない桜吹雪が散っていた。そういえば、春の景趣に設定したままだったっけ。 「おはようございます。どんな夢をご覧になっていたのです?」  私は独り言に返事があったと思って飛び上がり、その声が誰のものであるかを悟って、もう一度心臓を跳ねさせなくてはならなかった。洗濯物を持った一期一振が、なぜ声を掛けただけでそんなに驚くのかと小首を傾げていた。  どんな夢だったかと訊かれても、よりによって彼本人に話す勇気はなかった。何しろ、今でも唇に温かさが残っている気がするのだ。 「忘れちゃった」 「そうでしたか。いえ、頬が……さくら色に染まっているようでしたので」  私は思わず「えっ」と呟いて自分の頬に手をやった。一期はくすくす笑いながら、夢の中とは少し違う声音で、夢と同じことを言った。 「可愛らしいですよ」  そのまま洗濯物を届けるために廊下を歩いて行く、その後ろ姿を眺めて、私はこっそり二度目の独り言をつぶやいた。 「……夢じゃなくても、良かったのに」
お題は「夢オチ」。もともと同人誌寄稿作として書かせていただいた話です。同人誌発行者ご本人の許可を頂いて掲載しています。

薄紫と夏の香(歌仙兼定)

 今日はとりわけ暑さが厳しい。審神者が風鈴の揺れる縁側に座って涼をとっていると、そこに品の良い衣擦れの音が近付いてきた。 「おや、主。夕涼みかい」 「歌仙」  振り向いた先の歌仙兼定は、夕方の出陣に備えて外出用の装束に身を包んでいる。歌仙は、最初の数秒こそごく自然に審神者と目を合わせていたものの、やがてはたと何かに気付いたような顔をして、審神者の頭の先から足の先まで視線を上下させた。 「き、きみ、そんな……」  声色から明らかに狼狽がわかる。心なしか頬も赤いように見えた。 「ん、なに?」 「そんな薄着で人目につく縁側に出ていたら、その、危ないだろう、色々と」 「えー、だって暑いよー。それに、ここは往来からは見えないわけだし……」 「外から見えなくても、本丸の中にたくさんいるだろう、危ないのが……!」  “危ないの”って……。審神者が苦笑してそう言おうとすると、歌仙が何かぶつぶつと唱え始めた。 「つ、つまりだね、きみの肌をあまり他の者の目に晒すのは、この本丸のお父さん役たる僕としても……。それに年頃の女性なわけだし……」  それがひとしきり終わると、自分が羽織っていた上着を脱いで、それを審神者の肩に掛けた。 「とりあえず、これを羽織っているといい」 「うん、ありがとー……」  審神者が呆気にとられているうちに、歌仙は代わりの上着を持ってくるためか、いそいそと向こうに行ってしまった。……結局、薄着なのを心配してくれた、のだろうか。彼の後ろ姿を首だけ振り向いて見ていた審神者は、ふと肩に掛けられた上着に触ってみた。夏仕様なのか、肌触りは羽が触れているように軽い。羽織っていてもさほど暑さは感じなかった。審神者は上着をめくって裏地の見事な刺繍を眺めたり、手で裾をひらめかせたりして遊んでみた。すると、上着からかすかに良い香りがすることに気付いた。衣に香を焚いてあるらしい。涼やかで、主張しすぎない落ち着いた香り。何の香かしらと審神者が考えていると、そこに歌仙が戻ってきた。 「ねえねえ、歌仙、これ何の香り?」 「ああ、それかい。風流だろう。夏だから、荷葉かようにしてあるんだ。蓮の花の香さ」 「へえ。涼しげで好きかも」  歌仙は、そうだろうと満足そうに答え、室の引き出しを開けて、のんびりと出陣準備の続きを始めた。審神者はその横顔と、動くたびにふわふわ揺れる髪をしばらく眺めていた。歌仙とはこれまで、仲間としての親愛の情をこめたハグを幾度となくしたことがあるし、例えば今ここから立ち上がって彼に近付き、じゃれに行ったとしてもきっと受け入れられるだろう。でも、今はそうしないでおこうと思った。審神者は、蝉時雨が静かに響く中庭の方に向き直った。今はただこのまま、やわらかな香りに包まれていたい気分だった。彼と同じ、薄紫色の蓮の花を思わせるようなこの香りに。

棘と牙(小狐丸/一期一振)

「――勝負あり!」  判定の声が高らかに響き、敵将の木刀が一拍遅れて地面に突き刺さる。相手方の審神者の舌打ちの音がこちらまで届いた。  演練の結果、五戦全勝。特に今日は、小狐丸と一期一振のふたりが競うように誉を取り合い、季節外れの桜吹雪を絶えず散らし続けていた。 「いやー、いつになく張り切ってるね、彼ら」 「……なかなかですね」  燭台切光忠の言に、太郎太刀が木刀を返却しながら静かに頷いた。 「おまえら、すぐに主に結果報告だ。早くしろ」 「ああ、長谷部くん、すぐに行くよ」  燭台切は最後にもう一度演練相手を振り返ってみた。相手の男性審神者は、真っ青な顔で一期一振と小狐丸を凝視していた。 * 「ぬしさま」  報告を聞き終えて刀剣たちと帰路についたとき、審神者は小狐丸に呼び止められた。 「小狐、今日はいつにも増してすごかったね。ふたりで誉総取りじゃない?」  興奮気味に言うと、小狐丸は「ぬしさまに喜んでいただくためですから」と目を三日月型に細めただけで、あんなに誉をとったわりには落ち着き払った様子だった。 「演練とはいえ、活躍したんだからご褒美をあげないとね。何がいいか考えておいて」  審神者が歩きながら上機嫌に話していると、小狐丸はふと歩みを止め、審神者の顔をじっと見つめた。 「どうしたの?」 「……ぬしさま。気付かれませんでしたか?」  何のこと……と審神者が訊き返す前に、小狐丸は薄く微笑み、大きな手で審神者の頬から顎にかけてを撫でた。そして、審神者が驚いているうちに、ともすれば唇同士が触れそうなところまで距離を詰め、声を低めてささやいた。 「ぬしさまは、ほんにお可愛らしい。ですが……お気をつけくださいませ。この可憐な唇を手に入れたいと思うものは、ご自身が思うよりも多く存在するやもしれませんよ」  審神者がはっとして見上げると、弧を描いた彼の唇の間から、鋭い牙が覗いていた。 *  審神者は小狐丸と一旦別れた後、屋外の手洗い場で手拭いを洗いながら、ぼーっと考えにふけっていた。彼のあの表情や、口もとに覗く牙や、夕日を映して赤く燃える瞳が頭から離れなかった。 「主?」  そこに、先に汗を洗い流してくると言って演習場で別れた一期一振が現れた。 「お疲れ様です」 「一期もお疲れ様。大活躍だったね! 光忠も言ってたけど、いつになく気合い入ってたっていうか」  そう言うと、一期もあいまいに笑って「ありがとうございます」と答えた。 「今日の我々がそう見えたというのなら、きっと――」  一期は途中まで言いかけて一旦言葉を切り、それから思い直したように続けた。 「――いや、やめておきましょう。気付かれなかったのなら、その方が良いでしょうからな」 「なあに、気になるよー」  続きを促しても、一期は秘密を話す気がなさそうだった。その内容がどうしても気になった審神者は、さっき同じようなことを言われたことを思い出し、水を止めて立ち上がった。 「小狐に聞いてこようかな、そういえばおんなじこと言ってたから。ちょっと待ってて」  手拭いを干し、洗い場を離れようと踵を返す。そのとたん、審神者の頭上に影ができたかと思うと、横から手が伸びてきて、洗い場の壁をとんと衝いた。審神者がそちらを振り返ると、一期一振が彼女の行く手を阻むような格好で立っていた。審神者が口を開く前に、彼は綺麗に笑んで「失礼」と言った。 「……今日の演練の相手の顔、覚えておられますか」 「え? うーん……」  何故突然そんな話になるのかいまいち分からないまま、審神者は正直に答えた。 「覚えてないかな。今日の演練の相手、知ってる人だったっけ?」 「いえ、そうではないのですが……」  一期は少し目を伏せて言い淀み、それから内緒話をするくらいの距離まで近付いてきて審神者に囁いた。 「相手の審神者が、どうやら貴女に懸想していたようでして。視線の動きや態度から確信しました。……恐らく、小狐丸殿と私だけが感づいたのでしょうな」  つまり、相手方の審神者の好意に気付き、実力差を見せつけて主を諦めさせるために普段以上に張り切った、ということらしかった。今日の演練中に二人からたびたび感じた、「練習」らしからぬ殺気はそのためか。審神者は妙に納得して、「そうだったんだ……」とだけつぶやいた。  それにしても、話の内容に意識が行っていたので今まで気にならなかったが、ふと気付くと互いの距離はこれ以上ないほど近付いていた。先ほどの小狐丸との距離感と良い勝負だ。しかも今回は壁と一期一振で四方を封じられているため、逃げ場がない。審神者は不穏な空気を払拭するように、わざと明るい声をつくって話題を微妙に逸らそうとした。 「そういうことなら嬉しいけど、なんか意外だったな。いつも懐いてきてくれる小狐はともかく、一期もそんなに本気になってくれるなんて」  すると、一期はおや、という顔をして、心底楽しそうに言った。 「何を仰います。貴女に近付こうとする身の程知らずには、思い知らせてやらねばならないでしょう。貴女は“私たちの”主だ――と」  彼にしては低く、甘い声だった。蜂蜜を溶かし込んだような瞳が一瞬妖しく光った。今まで見たことのない表情を目の当たりにして、審神者は今度こそ言葉を失った。呆然と彼を見上げるしかない審神者に、一期は優雅に笑いかけ、また囁くような声で付け足した。 「……本当は、“私の”主と申し上げたいところだが」  それだけ言うと、一期一振はやっと審神者を解放し、まるで何事もなかったように、そろそろ夕餉の刻限のため本丸に戻ることを提案した。もうすっかり、元の温和で誠実な臣下の顔に戻っている。その横顔を見ながら、審神者は考えた。――以前、彼が持つ雰囲気は優美な薔薇の花のようだと思ったことがある。しかし、思い出すべきだったのだ。風に揺れてしなるような可憐で清らかな花も、実は鋭い棘を隠し持っているということを――。

瞳の中の星(髭切/膝丸)

「わあ、これが祭りだね」  今宵の審神者は、現世の浴衣に着替えた髭切・膝丸兄弟とともに夏祭りに来ていた。審神者がたまたま手に入れたチラシを見て、髭切が現世の祭りというものを体験してみたいと言い出したのだった。 「人が多いな。はぐれないように気をつけてくれ。特に兄者」  膝丸が周りを見渡しながら髭切に話しかけると、一秒前まで隣にいた彼は既に忽然と姿を消していた。直後に、膝丸の悲嘆の叫びが響いたことは言うまでもない。 「この展開、正直ちょっと予想できてたけど、でも思ったより早かったね……。手でも繋いでたら良かったかな」  審神者が自分の手を見ながらつぶやいた。 「て、手……。いや、しかし……」  膝丸の方は、指をぎこちなく動かしたり、手を前に出そうとしたり引っ込めたりしながら、何やらもにょもにょ言っていた。頬の血色が心なしか良くなっているように見えるのは、暑さのためだろうか。  そうこうしているうちに、二人が歩いている道がにわかに混雑してきて、とうとう審神者と膝丸も人の波に流され、互いの姿を見失ってしまった。 「あーあー、私まではぐれちゃった……」  仕方ないので、審神者は夜店を見ながら髭切か膝丸を探すことにした。しばらく歩いていると、明らかに目を引くものを見つけた。子ども向けのビーズやらペーパークラフトやら万華鏡やらが並んでいる小さな出店の前で、やたらスタイルの良い大の大人が興味津々で座り込んでいる図である。審神者は、意外と簡単に見つかったなと思いながら、彼の横にしゃがんで声をかけた。 「こんなとこにいたの。髭切」 「ああ、君か。よかった、探していたんだよ」  いや、全然まったく人を探していたようには見えなかったが……。ともかく、髭切は急に声をかけられても大して驚かず、先ほどまで覗き込んでいた小さい筒を持ったまま審神者に笑いかけた。審神者は浴衣の袖を手で抑えて、その筒を指差した。 「それ、万華鏡だね」 「この円筒をそう呼ぶのかい。すごいねえ、ほら、中を覗くと星が見えるんだよ」  髭切はそう言ってまた筒の中を覗き込み、慣れない手つきでそれをくるくる回し始める。審神者は、髭切の瞳の中に万華鏡の星が映るのを眺めていた。髭切は万華鏡を出店に戻し、機嫌良く審神者に話し始めた。 「ここに来るまでに、色々見たんだよ。ふわふわした雲のような菓子や、赤く塗った林檎や、あと……あれは何と言ったかな、中に水が入っていて、いろいろな色があって、このくらいの大きさで、振るとしゃばしゃば言う……」  最後のはきっと水風船だな、と思いながら、審神者は髭切が楽しそうに話すのを聞いていた。 「どれもきらきら輝いて見えて、素敵だったよ。人間は、色々とおもしろいものを作るね」  彼は目元を緩めて、まるで天上から人間界を見守る神様みたいなことを言った。審神者は久しぶりに、この人がどのくらいのあいだ人間と一緒に生きて来たかを思い出した。 「僕は千年も刀やってきたけれど、それでもまだ見たことのないものがいっぱいあるね。こんな体験ができるのも、こうして人と同じ身を得て、自由に動けるようになったからこそ、かな。君が僕たちの魂を励起してくれたおかげだねえ」  笑みを深めた髭切の髪を、夏の終わりの風が緩やかに揺らしていった。彼はもう万華鏡を覗いていないのに、審神者を見る彼の目の中には、小さく瞬く星々が閉じ込めてあるように見えた。連なった祭り提灯の向こうでは、本物の星が瞬いている。  それから二人がしばらく雑談をしていると、少し足早な下駄の音が近付いてきて、困ったような声が上から降ってきた。 「ここにいたのか、主、兄者。探したのだぞ」 「ごめんごめん、えーと……弟丸」 「もういい、ある意味間違ってはいないからそれでいい……」  可哀想に、もはや本当の名前を呼ばれることを諦めた弟ま……膝丸は、こっそり涙を拭っていた。髭切は弟のつぶやきを聞いているのかいないのか、辺りを歩いている恋人たちや親子連れの様子をじっと観察し始め、やがて何か思いついたような顔になった。そして、審神者の手を取って自分の横へ引き寄せる。 「そうか、こうして手を繋いでいたらよかったんだね。これならはぐれないよね」 「ななな、女子と手を繋ぐなど……! しかも俺たちが仕える主と……!」  膝丸は、審神者が先ほど手を繋ぐことを提案した時よりも百倍は動揺した様子で、その場でわたわたと謎の動きをしていた。顔も、もう隠しようがないほど赤く茹だっている。だが、髭切はそれには気付いていないようで、のんびりと小首を傾げた。 「おや、これでは、弟丸がはぐれてしまうね。じゃあ、こうやって繋げばいいよね?」  空いている方の手で、審神者の逆側の手と膝丸の手をそれぞれ引いて繋がせる。審神者を真ん中にして、三人が横に並ぶ形になった。審神者が右を向くとニコニコ顔の髭切が、左を向くと耳を赤くしてそっぽを向いている膝丸が見える。 「よし、じゃあ、行こっか」  審神者の一言で、三人は改めて夏祭りの夜店巡りを再開した。

燭台切光忠と審神者の話

 明日は久しぶりに予定のないお休みだ。そう皆の前でぽろっと口にしたら、今剣が文字通り飛び跳ねながら審神者に話しかけた。 「あるじさま、ぼくたち、このあいだのえんせいで、おいしそうな“かんみどころ”をみつけたんですよ。あるじさまと、みんなでいきたいなっておもっていたんです。ね、いいでしょう?」  次に、室の端っこで雑誌を読んでいた乱藤四郎が、ぴょこんと審神者の前に進み出る。 「ねえねえ主さん、このしょっぴんぐもーるに行こうよ! ボク、こういう衣装着てみたいっ! それで、こっちのは絶対主さんに似合うと思うんだ! 美人さんだしっ」  短刀たちのきらきらした邪気のない目でこんな風に迫られて、断れる審神者が一体どれだけいるだろうか……。さらに、とどめを刺すように、縁側にいた獅子王が参戦してきた。 「えー、主、俺たちとゲームしようぜ! こないだ買った新しいゲームあっただろ、二対二で対戦モードできるやつ」 「ええ、どうしよう、迷うなー……!」  審神者がどの誘いにも返事をできずに困っていると、燭台切光忠が苦笑しながら口を挟んだ。 「こらこら、みんな、気持ちは分かるけど、いっぺんに言われても主が困っちゃうだろ。順番にしないと」  すると、一同はそれもそうか、という納得顔に変わり、「また今度、ぜったい行こうねっ!」「やくそくですよー!」と順々に審神者と指切りをすることで、事態は一応収束したのだった。 *  厨で燭台切と一緒に食器を並べている時、さっきの出来事を思い出してか、彼が微笑ましそうに言った。 「主は相変わらず人気者だよね。みんな君のことが大好きなんだね」 「あはは、みんな構ってくれてありがたいよね」  審神者は笑って答え、はたと気付いて言った。 「でもさ、光忠ってああいう時、いつもうまく場をまとめてくれるよね。戦場でももちろん頼りにしてるけど、普段の本丸生活の中でも、助かるなーってよく思ってるんだよ」  すると、燭台切はなぜか戸棚を開けようとしていた手を止めて、彼らしくもなく黙り込んだ。審神者が彼の方を向いて、どうしたのかと様子をうかがっていると、ややあって、幾分トーンの落ちた声が聞こえてきた。 「……僕がそう振る舞うのはね、きっと、皆がいるからだよ」 「どういうこと?」  審神者の問いには答えずに、燭台切は彼女と向き合って一歩、二歩と前に出た。反対側の戸棚の前にいた審神者は、だんだん彼に距離を詰められ、逃げ場を失っていく。とうとう、燭台切が頭上の戸棚に手をつき、審神者の上に影ができた。彼がそばに来ると、背の高さがよく分かる。 「例えば……こういうこと」  その体勢のまま、燭台切は審神者の髪を一束すくい上げてもてあそんだ。 「本当はね、僕だって思っているんだ。君の時間を独り占めしたい、もっとたくさん話したい、いつも二人で過ごしたい、こうして少しでも君に触れていたい……ってね。皆といる時には、その気持ちを抑えるのに必死なんだよ、これでも」  普段よりもだいぶ余裕のない声だった。審神者は少しだけ美しく歪んだ彼の顔を見て目を瞬いた。この人、こう思ってたんだ。二人っきりだと、こういう顔をするんだ……。 「だから……信頼してもらえるのはもちろん嬉しいんだけど、君もあまり男を信じすぎたらいけないよ。さもないと、こんな風……に……」  そこまで言うと、燭台切は我に返ったように言葉を切って、数秒間黙った後、「……なーんてね」と眉を下げた。それから審神者の手を取ってその指に軽く唇を寄せ、ゆっくり彼女の前から離れていく。 「今は、ここまでにしておくよ」  意味深な言葉と笑顔を残して、燭台切はそれきりこの話題を打ち切った。夕餉用の皿を並べる仕事は、いつの間にか完璧に終わっていた。 *  あの一件以来、審神者と燭台切光忠の関係は表面上は何も変わらなかったものの、本丸の中で彼に会う機会は何となく減った気がしていた。審神者の方が、彼を意識するあまりに勝手にそう感じてしまっているだけかもしれないが。それでも、もしかしたら意図的に避けられているのかもしれない、そうでなくても、この前のことで気まずく思っているのかもしれない、と考えると複雑な気持ちになった。  そんな煮え切らない思いを抱えて、審神者は自室に繋がる廊下を歩いていた。すると、ある部屋の前で話し声が漏れ聞こえてくるのに気付いた。もし、その内容が何でもない雑談だったとしたら、彼女は何も気にせずにその部屋の前を通り過ぎただろう。しかし今回はそうならなかった。襖の向こうから聞こえて来たのは、件の燭台切光忠と、恐らく加州清光の声だった。 「……で、どうなの。結局どう思ってるの、主のことは」 「うーん、そうだね……」  しかも話題の中心は自分らしい。審神者はいよいよ本格的に襖の前から動けなくなった。まるで廊下に足が縫いつけられたようだった。何を言われるんだろう。もしかして、顔を合わせたくなくて避けてる、とか……。 「……気高いひとだと思ってる、かな」  思いのほか落ち着いた燭台切の声が聞こえた。審神者は結果的に立ち聞きをしてしまっていることへの罪悪感と葛藤しつつも、引き続き息を殺して襖の向こうの声に集中した。 「彼女、本丸の中で一緒に過ごしてると、気さくな女性って感じなんだけど、戦の指揮の時は戦局判断が驚くほど早くて、勇敢で、難局でも絶対意志を貫き通す。そんな様子を近くで見ていたら……」  燭台切の声が一旦途切れる。彼の隣にいるのであろう加州清光は、しばらく続きを待っていたようだが、やがて色々と察したようで、燭台切の後を引き取って言った。 「……なんだ。結局、そんな主を大事に思ってる、ってことだね」 「そうだね、大切だ。彼女だから、僕はもっと期待に応えたくなるし……守りたくなるんだと思う」  燭台切の声は真っ直ぐで、それでいて、慈しみにあふれていた。審神者はそこで初めて、いつの間にか自分の鼓動が速くなっているのに気付いた。聞き耳を立てているという緊張感からだけではあるまい。しかし、何にせよ、そろそろ本当に襖の前から離れた方が良さそうだった。衣擦れの音を立てないようにそっと足を動かしてみる。ところが、その瞬間に運悪く加州の声が近付いてきて、あっと気付いた時には目の前の襖が開け放されていた。室から出てこようとしていた燭台切とまともに目が合う。 「えっと、主……」  燭台切は目を見開いてしばらく固まり、それから「まさか聞かれてたなんて……」と照れたように笑った。 * 「光忠、準備はどう?」 「オーケー、任せてくれ。もういつでも出陣できるよ」  数日後、審神者は久しぶりに燭台切を部隊長に指名した。 「……何だか、久しぶりな気がするな。君に一番近い、第一部隊の隊長に任命されるのは」  燭台切のつぶやきを聞き、審神者はそうだね、と頷いて彼の背を軽く叩いた。 「今回も、これからも頼りにしてるから、よろしくね。みっちゃん」

小狐丸と審神者の話

 ある日、審神者は薬研藤四郎とちゃぶ台を囲んでお茶をすすっていた。そこに小狐丸がひょこりと顔を出した。 「ぬしさま、ここにいらっしゃいましたか。良い菓子が手に入りましたゆえ、よろしければご一緒に」  そう言って、芋けんぴが入った菓子盆を差し出す。そこに、さらにたまたま通りがかった鶴丸国永が、楽しそうだから俺も混ぜてくれと言って仲間に加わった。かくして、珍しい組み合わせの四人でちょっとしたお茶会が始まった。 「ああ、その話は確か、安達家にあった時に聞いたことがあるぜ」 「そうか、旦那は安達の刀だった時もあったんだな」  薬研藤四郎が、お茶をすすりながら昔を懐かしむようにしみじみと言った。 「俺も多くの主に仕えた。……不思議なもんだな。様々な来歴を辿ってきた俺たちが、一人の主のもとに集うなんて」  審神者も小狐丸と一緒にうんうんと同意しながら、芋けんぴをぽりぽりつまんでいた。  そのうちに、薬研は内番の時間だと言って部屋から出て行き、鶴丸もおやつの残りを伊達の連中にも分けてくると言っていなくなり、ちゃぶ台を囲んでいるのは審神者と小狐丸だけになった。 「彼らは今までの多くの時間を、何人もの持ち主と一緒に過ごしてきたのですね」 「そっか、小狐は……」 「はい。伝説上の刀ゆえ、主のもとで刀として振るわれるのも初めてのこと。ぬしさま以外に主と呼ぶべき方はおりません。ですから……」  小狐丸は審神者と目を合わせて、耳のように見える髪をふんわり揺らした。 「私は少しでも多くの時間を、唯一の主であるぬしさまの隣で過ごしたいのです。いつも毛づくろいをしていただきにぬしさまの室を訪うのもそのため。ささ、ぬしさま、今日もこの小狐の毛並みを撫でてくださいませ」  小狐丸はふさふさの毛並みを触りやすいように審神者の前に差し出した。審神者はくすりと笑って、いつもより念入りに彼の毛並みを撫ででやった。

大包平と審神者の話

 審神者の自室。大包平は幼子のように頬を膨らませて、審神者の隣でぶつぶつ言っていた。 「まったく。主が好きなのは俺だというのに、あいつらそれを幻想だの思い込みだのと……」  どうやら、他の男士たちと何かを話してきたらしい。……何かを。でも、それを本人の前で自信満々に口に出せちゃうのがいかにもこの人らしい……と思いながら、審神者はハンディ・ディスプレイで戦績をぽちぽちチェックしていた。 「なあ、そうだろう。主は俺を手に入れたい一心で、あの時、十万もの玉を……!」  大包平が審神者の方を向いて、オーバーアクション気味に話しかけてきた。審神者は苦笑して「えっと、んー……」と考え込み、それから大包平を見て言った。 「そうね……確かに、欲しいと思った。あの天下五剣と並び称されるくらいの名刀って聞いて、きれいなんだろうなって。そばで見てみたいと思った。それで、実際に迎え入れてからも、あの時頑張って玉集めして良かったなと思ったよ」  聞いている大包平の表情が、見る見るうちに明るく輝いていく。審神者は最後に小声で付け足した。 「だから、まあ、思い込みでも……ないかもね?」  その時の大包平の表情と言ったら、もう後にも先にも見たことがないと言っても過言ではないくらいに満足気な笑顔だったと、後に審神者は語った。  同日の夕餉時。たまたま審神者の隣の席になった鶯丸が、すすとさりげなく距離を詰めて耳打ちしてきた。 「なあ、主。大包平のやつ、何かあったようなんだが知っているか?」 「そ、それはどういう意味で……?」  審神者が訊き返すと、鶯丸は眉を下げて肩をすくめた。 「どういうわけか、今日はいつも以上にやる気に満ち溢れているようでな。手合わせだと言うのに実戦かと思うほど全力でかかって来られて、暑苦しいことこの上なかったぞ」 「あはは、そっか……」  そう言えば、今日はこの二人に手合わせの指示を出していたのだった。審神者には、力なく笑って心の中で鶯丸の苦労をねぎらうことしかできなかった。
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